|
今朝、恩師の中尾先生が瑞宝雙光章を受勲されたのでお祝いにいってきた。前にも書いたことだが先生は私達の仲人さんである。一回り上の「子」(ほんとは大正14年3月生まれの丑年)来年の3月の誕生日で84歳。 奥様を癌で10年前に亡くされ、長男さんを続いて亡くされておられる先生にとって、久しぶりの栄えあるそしてハレの出来事である。 先生の受勲は瑞宝雙光章で昔流でいえば勲五等、、である。私がもし戴けるとすれば勲六等で瑞宝単光章となるはずである。受勲制度について以前問題が提起され一等、二等、三等と等級をつけるのはよくない・・・ということで改められたのは最近である。あまり変わらないと思うが・・・。教育関係では一流大学の学長、総長で勲一等、並みの大学であれば勲二等、教授で勲三等や勲四等、高校校長で勲四等、五等。小中学校長で普通は勲六等、役職の多かった校長、教育委員会関係経由の校長で勲五等。並みの小中校長で勲六等と言われていた。家内の父は今のNTT、昔の電電公社の所長をしていたので死亡者叙勲と言って死んだ時に受勲されたのだが勲六等であった。旧軍隊で尉官に任命された段階で勲八等だったそうである。この叙勲は「公」を優先している、、と言われていた。最近になって外国人や産業界などいろんな分野から叙勲されている。 この叙勲については私の知っている、聞いている範囲で書いたので間違っているかもしれないが。 でなお、以前このブログで双光章と書いたがほんとは難しい漢字、「雙」光章、となるという。 先生は私が狭山中学校の三年の時の担任先生であった。先生は堺中(三国丘高校)の出身で当時は南河内では珍しい出身中学校であった。南河内は富中(富田林高校)の出身者が多数を占めていた。 先生は自分の母校の高校に私を行くように励ましてくださったこともあり進学できたのであった。でも、田舎の学校で優秀であっても三国丘高校へ行けば実力の差が如実に見せ付けられた。入学最初の実力テストで私は400人中128番であった。(+_+)。。上には上があることがよく分かった。三国丘中、殿馬場中、浜寺中、高石中・・・みんなよく出来たのである。余談はさておき・・・・・・・・・・・・・ 先生宅で四方山の話や病気の話・・2時間ほどお邪魔してしまい辞したのはお昼であった。近くのスーパーでお寿司を買い悲しい事にスーパーの駐車場でそれを食べ、、、リサイクルショップへまたまた車を走らせたのである。 水屋のいいのをほしいと、また電話・FAX台も欲しいと。でも中古にはいいものがない。徒労であった。結ちゃんが4時に帰ってくるので家で待っていなければならないし。 リフォーム関係では朝から電気屋さんが来てインターホーンをとり付けていた。来訪者の顔が小さなカラー液晶に写るのものだ。(^-^) また、タイル屋さんが来て玄関のたたきにタイルを貼り付けていた。昔のほうの玄関は敷居があり跨いで出入りしなければならないのだったが、今回のはフラットでバリアフリーで車椅子OK。 いよいよ明日は引渡しである。そして今住んでいる所から身体も荷物も家具も移り住む。そしてリフォーム第二部が始まる事になる。 明日は、三国丘高校同窓会(三丘会)の幹事会が午前11時からあり、会計中間報告の承認と昼食をとるのである。当然2000円の実費負担である。来週は19日水曜日に老人会の「あるこう会」で京都に行く以外は連日荷物の整理である。あるこう会は世話役が6人で80人近いお年寄りを引率しなければならないので、休むわけにはいかない。私が最年少の老人会世話役であるから・・・。何しろ大正生まれも昭和一桁もたくさん居られる。。。。 |
| << 前記事(2008/11/12) | トップへ | 後記事(2008/11/15)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2008/11/12) | トップへ | 後記事(2008/11/15)>> |